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Diderik Buxtehude
ブクステフーデ
1637頃 - 1707
ブクステフーデの肖像画は存在しないと思われていたが、1970年代の半ばになって、このページに紹介する油彩画が発見された。
ここに描かれている音楽家のうち3人は、ラインケン、タイレ、ブクステフーデ であることが判明している。
ラインケンは他にも肖像画が残っており、チェンバロを弾いている B であると特定できる。
リュートを爪弾く女性(D)は不明だが、残る2名は、ガンバを奏する A と
楽譜を前に肘をつく(あるいは耳に手をかざす?)男性 C である。
従って、A か C のいずれかが ブクステフーデで、もう一方が タイレである。
ラインケン (1623-1722): おそらくオランダ生まれ。シャイデマンに師事、彼のあとを継いで
1663年、ハンブルク・カタリナ教会のオルガニストとなる。80歳になるまでそこで主席オルガニストを務め、ほとんど 100歳まで生きた。
卓越した演奏技巧を持ち、コンサートオルガニストとして活躍。16歳の若きバッハは、彼のオルガン演奏を聴くためにハンブルクまで旅行している。
タイレ (1646-1724): ナウムブルクに生まれ没した作曲家・理論家・教師。マテゾンによれば
「特別に信心深く正直な人間で、音楽を完全に理解していた」。同時代人から「対位法の父」と呼ばれ、合唱用の宗教音楽で重要な貢献をした。
ブクステフーデ (1637-1707): 作曲家・オルガニスト。デンマーク生まれ。
ブクステフーデは 1668年、トゥンダーの死により空席となった リューベック・聖マリア教会の音楽監督・オルガニストに就任。以後40年近くにわたって
「リューベックのオルガニスト」として活躍し、また彼が主宰した年5回の「夕べの音楽」(アーベントムジーク)によりあまねく名声を得た。
1705年10月、20歳になったバッハはアルンシュタットの教会に4週間の休暇を願い出て(徒歩で?)370km離れたリューベックに赴く。
ブクステフーデの音楽に深く魅了されたバッハは、何と4か月近くを経て戻り、教会の聖職会議で査問されることとなった話しは有名である。
その時に非難された理由の一つは、彼が礼拝時のオルガンコラール演奏で、耳慣れない音を混入して会衆を困惑させたというものであった。
これは明らかにブクステフーデの影響によるものだったと思われる....
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